明治、大正、昭和の日本の市販薬のパッケージデザインを紹介します。

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廣貫堂の即功紙

廣貫堂の即功紙

袋に書いてある使い方を記した文字が、崩されすぎていてほとんど読めないのですが、
僕の”勘”では、「切り傷、擦り傷を治すのに、中の紙を切り刻み、水をつけて貼っておけ」くらいのことが書いてある気がします。たぶん。
絆創膏の遠い先祖といった感じですかね。

戦前の商品だし、こんな怪しげな商品を出していた会社はさすがにもう現存してないだろうと思って調べたところ、普通にまだ製薬業を営んでいました!
マークも、この即功紙に付いている、鳥二匹の真ん中に”廣”の字をあしらったマークと全く同じものをまだ使っているようです。
ヒゲのダルマみたいな顔してるおっさんもいい味をだしていますね!
中身の紙に、破ったあとがあるのは使った後なのでしょうか。

廣貫堂の即功紙

製造会社の所在地から、かの有名な”富山の売薬”の商品かと思ったのですが、
その、ホームページを見たところやはり、1876年に富山の売薬をあきなっていた人達が、旧富山藩の反魂丹役所を引き継いで設立した製薬会社なんだそうです。

富山の売薬とは、古くから富山県にある医薬品の配置販売業の俗称。
この配置販売業とは、医薬品を前もって預けて必要な時に使ってもらい、代金は後日支払ってもらう先用後利のシステムのこと。
このシステムは、17世紀終わりごろの創業当時、市場への新規参入のための販売戦略として生み出されたそうです。

当時は200年にわたる戦国の騒乱も終わった頃で、江戸幕府や全国の諸藩は救国済民に努め、特に領民の健康保持に力を入れていました。
しかし、この頃は疫病は多発し、医薬品販売も店売りは少なく、薬を取り扱う商人の多くは誇大な効能を触れ回る怪しげな大道商人が多かったようです。
また、貨幣の流通が十分でなく、貨幣の蓄積が少ない庶民にとって医薬品は、家庭に常備することはできず、病気のたびに商業人から買わざるを得ない、やっかいなしろものでした。

こうした背景の中で医薬品を前もって預けて必要な時に使ってもらい、代金は後日支払ってもらう配置販売業のシステムは、画期的で時代の要請にも合っていたことから富山の売薬は大流行したようです。
いつの時代も、ニーズを見抜いた人が勝つのは一緒ですね。

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